■トップページへ戻る | ■新着情報へ戻る | ■エコミュニティ研究会へ行く | ||||||
民の力は“京都発”
京都シルバーリング 玉川雄司氏 ■ 結論:
明治初期の京都ではNPOの組織・活動が法の整備よりも先に行われていたという事例がある。「制度より先に活動ありき」という現象は、現代の感覚から見てもものすごいことである(例えば1998年に成立したNPO法および実際の非営利活動を考えてみればよい)。当時の京都は町衆による「民の力」が相当成熟しており、それから100年以上の後の現代に生きる我々が学ぶべきものは多い。
◇明治政府の学校令制定よりも3年早く、京都では私立(地域立)の小学校(4年制)が計64校(上京下京に各32校)設立された。そこでは学区会議員による自主的な運営が行われていた。
・江戸後期、藩主のいない京都や大阪には商家を中心に町衆を基盤にした「心学塾」が定着していた。亀岡出身の心学者石田梅岩の流れを汲む「石門心学」がその精神の底に流れている。「石門心学」は石田梅岩の弟子である手島洪庵の明倫社などで伝授され、京都の心学塾へとたどり着く。藩校では「武士道」が教育されたのに対し、心学塾では「商道」が教育された。そこでは多くの商人やその子弟が学んだ。
・明治維新の際、明治政府は四民平等という理念をその統治システムに持ち込んだが、「万人が平等」という理念に立脚した明確な教育理念というものを用意しているわけではなかった。京都の町衆のすごいところは、京都で発祥・熟成された石門心学にもとづく教育理念を中央政府の布いた制度に先駆けて実践していただけでない。京都は明治以降の教育理念そのものを作り上げたのである。
・ 当時の京都の小学校運営については現代のNPOの精神が脈々と流れている。
例)一種の財団のような方法で資金を稼ぐ。(「資金利殖ノ会社ヲ創立シ…」初音尋常小学校)
◇各商家の家訓の例
・ 下村家:「先義・後利」
…大儀を持って商いをせよ。利についてはその後で考えよ。 ・ 高島屋飯田:「商品の良否はすべからく客に告げ、一点の虚偽あるべからず」 …今日のInformed Concent の概念 「商品の価格は適正にし、両者の利を計るべし」 …物を買った者、売った者両者とも利を得なければならない。 ・ 石田梅岩:「女中衆の受講は羽織を着するに及ばず」(ジェンダーフリー) …心学塾では女性の受講を奨励していた。 ◇番組小学校 「百年の計の教育事業」
・ 京都の将来を子弟の教育に懸け、「金ある者は金を、物ある者は物を」拠出しあって生まれた「百年の計の教育事業」
・ 学区会議員によって、校区によって自主性豊かな特徴あるスタイルで運営されていた。 ◇◇新明治政府には教育の基本理念なかった。
・全国に二宮金次郎の銅像
・農村 中江藤樹:庶民の実践哲学 ◇民衆の力の低下は戦後
・「バブル期、20年しか持たないような建売住宅のローンを融資するような金融機関はけしからん!」
◇京都の他の先駆的な例
・高瀬川、西高瀬川 PFI方式
・祇園祭の山鉾巡行 町衆の祭り |