京都新聞 1999年8月13日「私の京都新聞 評」掲載記事
日本サスティナブル・コミュニティ・センター
事務局長 浅野令子
社会が大きく変化する時にこそ、こころにしみる言葉が欲しくなる。土曜夕刊二面のシリーズ『時代の俳景』で紹介された「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」と言う俳句(4月3日)が妙に好きである。「たんぽぽの夢工場。つまり、ぽぽはたんぽぽたちの夢が生まれているところです」と、夢のある女子高生の鑑賞を載せていた。私も「たんぽぽのぽぽ」という語感のふくらみに感染し、人に送る手紙の文頭や文末にこの句を添えた。第一面を読み終わり、これから数十ページにわたり世情を読もうと身構えて第二面を見る時、『時代の俳景』やコラム『現代のことば』のような「こころ」の紙面があるのはありがたい。苦難を乗り越え、真実を求める話(7月23日『現代のことば』)も心に留まった。
何が真実かをつきつめて考えるより、体制の中で無難に生きる技さえあれば、今まで生きてこられた。向井万起男氏が、「だれかが、どこかで、何かをやってくれるに違いない、で済ませていた国民だから」と、自分や家族に重大な影響を及ぼす病理医の存在すら知らない日本人の他人任せぶりを愁いている(7月26日朝刊ホーム面『かざぐるま』)。
確かに自分の一生や社会問題を自発的に考えず、受け身人間になるように子どもを教育する方が「管理」はしやすい。学校の"全体主義"で鍛えられた子どもは、やがて「会社人間」となり、日本型社会システムを作った。しかし、その社会モデルは終焉(しゅうえん)を迎え、影響が学校やこどもにも及んでいる。20年前までは若い教師と生徒が登場する学園もののテレビ番組があって、私もわくわくしながら見ていたが、現在、小中高教員の高齢化が進んでおり(7月31日朝刊第三社会面)、採用減で年配の教員が多い職場に配属された新教員の悩みを紹介した報告書発行のニュースを目にした(28日同面)。一方で、「塾はサービス業だと割り切っている」、「一番好きな先生は塾の先生」(22日朝刊対向面連載『君の笑顔が見たい』)という言葉は、学校とこどもの関係を補完する塾の存在について考えさせられる。
教育はライフスキルのサービス業と言ってもよいのではないだろうか。ライフスキル教育を応用した参加型授業で、いきいきと歯の健康法について学んでいる小学生の紹介をほほえましく読んだ(8月1日朝刊ホーム面)。その中に、ライフスキル教育とは、日常的に起こる様々な問題や要素に対して、より建設的かつ効果的に対処するために必要な能力―とある。大人にこそ新しい時代を生きるためのライフスキル教育が必要だろう。「忙しいを口実にボランティア参加ゼロ。時代に取り残されそうな不安がよぎる」(7月21日『凡語』)。ライフスキルとは、時代に迎合するためのものではないはず。「行政がNPOとの『共働』に意欲的」と書く凡語子の「ぽぽ」は大丈夫でしょうか?