京都新聞 1999年6月20日「私の京都新聞 評」掲載記事
日本サスティナブル・コミュニティ・センター
事務局長 浅野令子
自分の生まれ育った土地が物心ともに豊かであるなら、人はその土地で愛する者と暮らしていたい。これは人が歴史を記し始めたずっと前から変わらぬ真実ではないか。障害者の福祉施設をめぐり当初反対していた地域住民との間に地道に信頼関係を築き、「地域の中で生きたい」という共通認識を獲得したとの記事が目に留まった(6月9日市民版コラム)。
どんなに時代が変化しようと変わらぬ心情がある。地域固有の魅力が社会的にあるいは経済的に地域にうまく組み込まれていないと、良い仕事を求め自分の生まれ育った土地を離れる。その結果、地域からは優秀な人材が流出し、その土地のもつ輝きが失われていく。
その点京都は幸運であったということが、5月15日から10回続きで、一面と経済面にまたがって掲載された「京都経済再生」シリーズ第7部「インタビュー京都企業を解く」を読むと良く分かる。第一回のローム・佐藤社長は「京都で創業したからこそ、大きく成長したともいえる。今でこそ海外からも顧客や投資家が来てくれるが、昔は京都観光のついでにロームに立ち寄り、そこで商談のチャンスができた。」続く日本電産・永森社長も「京都で創業したのは、おもしろくて参考になる会社がいっぱいあったからだ。」(同16日経済面)という。
時まさに時代の変革期。産業構造改革、雇用の創出の緊急性を受け、京都新聞でも経済関連の記事を多く載せており、地域リーダーの考えがよく分かる。政府の雇用対策の1999年補正予算編成方針に対する秋山関経連会長のコメントでの「21世紀を目指す産業構造の方向を定めた上で、企業の自助努力を促す環境を整備するという、将来に生きる形での投資を推進すべき」との指摘、稲盛京都商議所会頭「モラルハザード(倫理欠如)を起こさないために、まずは企業の自己責任が前提。その上で将来につながる企業の構造転換を支援する形が望ましい。」との提起(いずれも6月8日経済面)が目をひいた。
ここで、もう一度「地域で生きたい」ということを考えてみよう。一連の産業構造転換や雇用の創出のニュースを見るにつけ、高度成長期の日本の障害者や高齢者など、いわゆる社会弱者の悲哀を思い出す。地域に暮らす誰にでも生き甲斐や仕事があってこそ地域振興や活性化が可能となるのでは。政府や経済界の考える大きな雇用(働き盛りの男性の雇用?)も必要ではあるが、誰にでも参加できる家内工業的な「なだらかな雇用」の創出(4月22日経済面)も重要だ。京都新聞で地域経済という視点で記事を書く場合、社会弱者の雇用対策について行政や経済界の方にコメントを求めて欲しい。「人はその土地で愛する者と暮らしていたい。」という素朴な願いがかなうような地域づくりを目指して。