京都新聞 1999年5月16日「私の京都新聞 評」掲載記事
日本サスティナブル・コミュニティ・センター
事務局長 浅野令子
「メリッサ」が近所で悪さをしたので、「パパ」が出てきて、さあ大変。「メリッサ」も「パパ」も悪玉だった。笑い話ではすまないコンピューターウイルスの恐いお話。
京都新聞でもコンピューター関連のニュースを取り上げている。しかし、「『メリッサ』発信元割り出した」「薄氷の情報化社会」(4月3日夕刊社会面)、「ネット悪用が急増、女性の被害は深刻」(同15日朝刊「オピニオン解説」面)、「コンピューターの2000年問題対応終了わずか25%」(同16日経済面)と不安いっぱい。15日付『凡語』でも、「ところで、諸君はインターネット世代、あるいは電子メール世代といわれ、情報の収集と処理に堪能なようだ。ただし面と向かった生のコミュニケーションは苦手との評価を聞いた」と、追い討ちをかける。辛口評論は新聞の真骨頂なのだろうが(ややもすると不安を増幅するケースなきにしもあらず)、新しいことを知らせる役目を担うにしては、デジタル情報化時代に関し、少々勉強不足ではなかろうか。電子メールアドレスを持たない記者さんが多いようだが、それが、新しいことに対する悲観的な記事のトーンにつながっているようにも感じる。
一方、世間はどうかというと、インターネットの企業利用は、この3年間で約7倍の89%に達している(22日朝刊経済面)。通信白書によれば、インターネットの世帯普及率は6.4%だという(15日朝刊『経済天気図』)。ちなみに、アメリカのインターネット世帯普及率は30%を超えている。加速度的にインターネットが普及し、電子商取引も2003年には70兆円超に達すると試算されている、というのもうなずける。コンピューターに関して、どうして人はアンビバレンス(愛憎)な感情を抱くのかとかねがね思っていたが、「人類が発明した機械は、発明された段階で何のためにどんな役に立つのかは分かる。しかし、コンピューターの能力が何に使われるのかまだはっきりしていない」(同『天気図』)とあるのを読み、よく分からないというのが揺れ動く感情の原因なのか、と納得する。
しかし、はっきりしていることは、コンピューターでトレーニングの仕組みを作れば高齢者や障害者でも自宅から社会参加でき、SOHO型の仕事もできるようになるということ。
視覚障害者でも音声リーダーなどの発達で、ホームページにアクセスすればニュースを聞くことができる。デジタル情報化が進み、福祉と経済は限りなく近づいている。分野を縦割りにし、それを記事にするのではなく、分野のはざまで何が起こっているのかを追えるように、新聞社の方々にもぜひ"デジタル武装"してもらい、変化する時代を膚で感じてほしいものである。