エコ村ネットワーク代表の仁連先生(滋賀県立大学)と京大の内藤先生をお招きして、4月5日エコミュニティ研究会を開催します。
テーマ :「環境と調和した持続可能なコミュニティは創れるか」
スピーカー :内藤正明 教授(京都大学大学院環境地球工学研究科) 仁連孝昭 教授(滋賀県立大学環境計画学科)
場所 :京都ウィングス (財)京都市女性協会 2階セミナールームB (京都市中京区東洞院六角下ル 御射山町262 京都市女性総合センター)
日時 :4月5日(木) 18:15-20:45
費用 :SCCJ会員 無料 非会員 1000円徴収
SCCJのオフィスは室町の真ん中、小川通り六角にあります。その近くの三条商店街には今も、造り酒屋や豆腐屋さんが軒を並べています。
お酒屋さんでのお話
昔は、おとうふ屋さんから出るおからと同じで、米のとぎ汁の沈殿物は養豚農家にもらってもらい、米袋は何回も使っていたとのこと。
大きな酒造会社と違い、米を冷凍保存しておらず、毎年の米の出来悪しで、酒の味も微妙に違い、それだけが今も昔も変わらないところ。現在は、米のとぎ汁やおからも産業廃棄物扱いなので、有料で廃棄しなければならない。昔は喜んで持っていってもらったものが、今は環境に負荷がかかるお荷物となる世界。
普通の人が普通に暮らしていけるコミュニティとは
コミュニティの環境に焦点を当てて、今回のテーマは「環境と調和した持続可能なコミュニティは創れるか」。大きなテーマですが、身の丈で分かる「環境と経済」について考えてみたいと思います。京都大学内藤先生には、環境調和型社会について大きな視点からご説明いただき、滋賀県立大学仁連先生には体と心で体験する「エコ村」ワークショップをしていただきます。桃源郷ではなく、普通の人が元気に生きられる環境調和型コミュニティ「室町」を一緒に考えてみませんか。「農村」と「都市」に再度蜜月が訪れるのか。内藤先生と仁連先生の「環境」に関する智恵の激突も楽しみな研究会です。
スピーカー
内藤正明 教授(京都大学大学院環境地球工学研究科)
http://www.kiess.org/naito-j/naitopro.html
京都大学工学部卒業。京都大学工学部助教授、国立公害研究所、国立環境研究所を経て、1995年から現職。2000年特定非営利法人循環共生社会システム研究所設立。
http://www.kiess.org/j/index.html
仁連孝昭 教授 (滋賀県立大学環境計画学科)
http://www.ses.usp.ac.jp/ses/keikaku/niren.html
京都大学卒業。広島大学総合科学部助手、日本福祉大学経済学部助教授を経て、現職。専門分野は環境経済学。2000年エコ村ネットワーク(NPO)を設立。
info@eco-mura.net
2001年3月20日エコミュニティ研究会 概要報告書
コミュニティのファイナンス
今回のテーマは、コミュニティのファイナンス。大阪大学公共政策研究科の跡田教授には、コミュニティの実情とコミュニティ活性化のための「金」に関するを話を、圓城幸男氏(ホテル日航プリンセス京都取締役副社長)には、室町コミュニティ事情を語ってもらい、コミュニティのファイナンスの現状を参加者と話し合った。
■自治会・コミュニティ・お金 ・・・跡田
自治会は現在もあるが、ただほとんど形をなさないぐらいまで崩壊している地域と、ものすごくしっかりとしたものが残っている地域とにはっきり分かれる。
名古屋には形だけの町内会、自治会があり、今や自治会はほとんど残っていない。高山では春と秋にお祭りが行なわれ、自治会なり町内会の人が、お金も人も出したりする。そのような2つのことから考察すると、自治会的なものが残っているところは、いわゆる、今流行りのNPOのようなものはほとんど育っていない。それに対して、大規模な住宅開発をしたような新住民のいるところでは自治会組織がほとんど機能せず、逆に、ボランティア活動とかNPOが発達している。
ところで、自治会というものが、はたして今でいうNPOといえるのかどうか?
戦前では、おそらくボランタリーな組織に近かったのではないだろうか。それが戦時体制の中で崩されていって、最近の状況をみると、市町村の意思伝達機関となっている。しかも市町村からそこにお金が流れ、それで維持させているところも多々ある。農村の一部の地域を除いては、現在の自治会を、ボランタリー組織と位置付けるのは難しい気がする。
また、都市部などでは、自治会的なものが昭和30年代から40年代に完全に崩壊し、今新たな動きとして、コミュニティを再生しようという動きが起こってきている。単位としては1万人規模で、小学校区というような形のものが、1つの一番小さな単位でのコミュニティと考えているようである。言いかえれば、そのくらいの規模であれば、お金がちょうどうまく動く単位になっているということである。
また、コミュニティ・ビジネスという話もでてきている。ニーズに応じて自分たちで事業化し、自分たちの地域の人に還元していくもので、そういう単位としても、コミュニティというのが1万人規模が適切と考えられている。
コミュニティ再生の問題として、お金の問題がある。ボランタリーにお金を集めている限りは、なかなか集まってこないのではないか。例えば、コミュニティの意思を集約するようなNPOをひとつ立ち上げ、政府ないしは自治体からお金、補助金を自分たちで受け取ることが必要になってくるだろう。そして、自分たちでビジネスを展開して稼ぐという形で、コミュニティの人たちにサービスを還元していく形も必要ではないだろうか。また、収入源として、寄付も考えられる。寄付は、今の日本の社会ではそれほど期待ができないが、自分たちの町のためになるということにつながっているように見えると、寄付も可能であろう。日本人はちゃんと税金を払っているし、そのような意味でも自分の意思が反映できる、そして自分のやって欲しいサービスを提供してくれるところに対価を支払う、という形態がかなりの規模で拡がっていくのではないかと思う。また、そのことにより、住民の意識を変え、コミュニティーを維持し、コミュニティー活動をする人たちを育てていくのではないだろうか。
■着物業界に未来はあるか 圓城
学校を卒業し、呉服商社に入社、営業担当となり、経費のかけかたや販売方法に、「なんか原始的な商売だなあ」と感じていた。着物に対する偏見はその頃からあったのかもしれない。
1980年、会社もいろいろ考えた末、海外事業を展開することとなり、サンフランシスコに現地法人を作るということで、私はアメリカに住むことになった。アメリカに住み、「非常にこの国はすごいな」と思ったことがたくさんある。アパートを借りるにしても、電話をつなぐにしても、日本とは文化が全く異なっていた。また、サンフランシスコの事務所を起点に、いろいろなところへセールスに行くのだが、ここでも日本とアメリカのビジネスの違いを感じた。どんな大手の企業のバイヤーでも絶対会ってくれる。疑問に思って尋ねると、「バイヤーというのは、新しい商品を見つけるのが仕事で、もし隣の会社でその商品がものすごく売れたら、私はあなたに会わなかったことを理由に退社させられる」と言われ、ビジネスの認識の違いを思い知らされた。
ただ、そこで、着物という商品を見せた時に、「ワンダフル!ビューティフル!」と褒めてくれるが、値段を言うと全く相手にされなかった。そこで、路線変更をし、古着に焦点を絞ったところ、着物という感覚より、むしろデザインとして興味をもたれ、結構売れたのである。
1980年には着物以外の事業と並行し、毛皮やレザーを始めた。1988年には、香港にレザーの縫製工場を作ることになった。たまたまわが社から発注していた工場経営者が、中国への密輸で逮捕されたことがきっかけで、ビジネスがあるのにお金が動かない状況を変えるべく、法人を設立して作ることとなったのである。
そして1990年にはホテル事業の計画が持ち上がり、94年に開業。ところが時間がなく、現地に任せっきりになり、これでは再投資をかけるのにリスキーだということで、香港の中国返還と同時に、やめることになった。
私は呉服屋と言いながら、着物中心ではなく、それ以外のことを中心にやってきたのである。とはいえ、着物会社の中でやっているので、営業的には展示会や販売会でいろいろな所へ結構行き、それなりに着物には触れてきたのではあるが、その中で「着物はどうなのか」と考えるようになったというのは、やはり、アメリカへ行ったことがひとつのきっかけとなったのではと考えている。
日本ではマーケットが小さくなっていて、海外のいろいろな業種と比較した時に、何かおかしいなと常に疑問に思っていた。そして、やはり世界に通用しない商品だったということが非常に大きなショックだった。それに、着物そのものの位置付けが、衣類か、民族衣装か、美術品か、あいまいな商品だと今でも思っている。それを考えると、着物の将来性に失望する。また、一人で着られないというのが、最大の欠陥ではないかと思う。また、着物は買う時代から借りる時代になったのではないかとも思う。
昔、着物がやっていけたのは、需要があったことと、加工が分業され、家業として着物をやっていたところが非常に多かったからだと思う。それだけいろいろな人の手を経ていくので、厳しい不況があっても、うまいこと皆でリスクを分散しあって乗り越えてきたというのが着物業界だったのである。それが今や家業から企業になってしまった。
小売店の販売の方法に問題があって、お客とのお付き合いが古いので、“ある時払いの催促なし”のような売り方をし、結局、経営を圧迫してきたのである。
本題の『室町に未来はあるか』だが、家業として一度商売の原点に立ち返ってやっていけば、着物が世の中から消えてなくなるようなことはないのだから、未来がなくもないが、今の規模でやっていくと未来はもうないのではないかと感じる。当然これだけ生活様式が変わっているのだから、日常に着るものとして、生き残るのは不可能である。ただ、生活にゆとりがあって、俗世間の空気と離れたところでちょっと着物を着るというのは、それはそれなりに趣があっていいかなと思う。しかし、着物というのは、どんどん若い人たちの心から離れていっているというふうに思われるのである。
■坂口
アジアへ行けば、韓国のチョゴリ、タイ、ベトナムのアオザイという民族衣装等を身にまとった人たちが町を歩いていて、アジア人の心は民族衣装にあると感じる。気候もあるが、日本、特に京都はやはり着物の似合う町ではと思うのである。
■日本に未来はあるのか・・・跡田
着物業界に未来はあるかという前に、日本に未来はあるのかということだと考えている。あらゆる産業がいい時もあれば悪い時もあろう。しかし、特別な技術のあるもの、美術品や伝統工芸品などは残せる。おそらく着物は伝統工芸品に入っているし、その中で、マーケットの中に活かしていかなければならない気がする。
■ 質疑応答
(参加者)NPOは、産業として成り立たせないものを成り立たせる手段というようにおっしゃったが、どういうことなのか。
(跡田)誰かが儲かったお金を、寄付という形でもらう。そのお金で、採算をプラスマイナスゼロくらいになるような活動をする。もうひとつは、更に自分のところの他部門で儲ける。そして成り立たないことを成り立たせるのである。トータルで考えれば、プラスマイナスゼロとしてできるようになって可能性がでてくる。
(北波)自治会の会長をやっているが行政からの補助は得ていないが…。
(跡田)はい、出ているところと出ていないところはある。
(北波)活動に対して市から補助が出るが、個人に対する補助というのは全くなく、運動会、秋祭り、敬老会も自発的にその組織内にあり、自発性ある自治会活動となっている。
(木)2つ質問したい。1つはアメリカのように市民税を安くすることによる新しい市場について、2つめは、社会経済メカニズムが変わってきていることについて少し説明してほしい。
(跡田)税金を減らすことは、政府のサービスを減らすことだから、それによって困る人が出てくる。そこをうまくいかせるために、NPOがますますこれから重要視されるだろう。2つめの質問だが、インターネットという形で、不特定多数の人が情報を見るようになるとマーケットは拡がるし、生産者と消費者を直接結び付けてくれる。ある程度のディマンドを発掘できる可能性もでてくるであろう。着物業界でも試してみる段階なのではないだろうか。
(北波)着物は、着方、価格、売り方、生活環境をうまくマッチングさせていくと、日本の歴史の息吹が残った衣装として、状況が整備されれば、捨てたものではないのではなかろうか。
「コミュニティのファイナンス」というテーマで、SCCJエコミュニティ研究会を開催します。
スピーカーの圓城さんは、元きもの屋さんで現在ホテル日航プリンセス副社長。そのきもの屋さんのあった場所に日航プリンセスが建っています。アメリカにきもの販売行脚に行くなど積極的に海外進出を試みられましたが、ホテル業界へ。今だから言える「室町事情」を語ってもらいます。大阪大学跡田先生には、私達にできる「コミュニティのファイナンス」の可能性を探るための手がかりとなる、公共財政や民間の自助努力に関し話しいただきます。
「伝統」を守り「のれん」を続けるのにむなしさを感じるという声がそこ、ここから。行政マン、企業人、民間人、住民、市民、NPOという「ことばと心の垣根」を越えて、なにができるかを一緒に考えるのが、この研究会の狙いです。
日時 :2001年3月20日
場所 :コンソーシアム京都 第二会議室
時間 :18:30-20:30
スピーカー
●圓城幸男氏 ホテル日航プリンセス京都 取締役副社長
1976年呉服総合卸商社ヤマサン株式会社入社、呉服販売担当として営業に従事。1980年米国サンフランシスコ市で現地法人設立を担当。取締役に就任、呉服関連商品の輸出開始。1981年より毛皮、レザーコート類の輸入部門を担当。1988年香港に現地法人設立。代表取締役に就任し、レザーコートの製造及び輸出を開始。1991年株式会社ケイ・ ホテル開発設立、ホテル日航プリンセス京都の取締役副社長に就任、現在に至る。
●跡田直澄氏 (大阪大学大学院国際公共政策研究科 教授)学習院大学経済学部卒業。帝塚山大学助教授、名古屋市立大学助教授などを経て、 1996年より現職。
郵政省審議会専門委員、大蔵省財政金融研究所特別研究官等公職を持つほか、日本NPO学会総務担当理事代表。著書に『税制改革の実証分析』(共編著)[1989](東洋経済新報社)、『ゼミナール現代財政入門』[1990](共著)(日本経済新聞社)、『21世紀日本型福祉社会の構想』(共編著)[1998](有斐閣)
1月27日京都研究会のスピーカー西本卓也さんをお招きして、ポスト京都研究会&SCCJエコミュニティ研究会を開催します。
京都研究会でも、西本さんが言及しておられた技術が拓くオープンプロセスについて、それを可能とする技術操作の実演を交えながら、お話していただきます。
テーマ :コミュニティ情報共有の技術と未来
---オープンソースからオープンプロセスへ---
話題提供者 :西本 卓也(京都工芸繊維大学 助手)
場所 :(株)愛きもの 京都市中京区小川通六角下る元本能寺町386
時間 :午後6時ー8時ごろまで。その後は懇親会でさらに議論を深めます。
費用 :SCCJ会員、2000年度京都研究会参加者 無料 それ以外の方 2000円
申し込みは、 asano@sccj.com まで。
■ 1. 技術が社会のあり方を決める(べき)時代
今日のネットワーク革命の意義の一つは、ソフトウェア技術者の新たなコミュニティ形成を支援し、分散・協調的な知的生産活動のスピードを極限まで加速する手法を確立したことにある。
ソースコードや文書といった情報を多くの人間の間で共有し、ソフトウェア開発プロセスをもオープンにしてしまう。多様な知性が結合することで情報価値の自己増殖現象が発生し、その生産物はコミュニティ内で共有される。このようなことは、すでにネットワークの上では日常的に行われている。
言いかえると・・・
インターネットの世界は、なぜこれほど進歩が速く、変化が急なのか?それは、仕事を加速する手段を、技術者がみずから確立したからである。
既存の組織では、その速度に追いつくことができない。だから、多くの革新的な技術を、ボランティアをベースとしたコミュニティで生み出し、育てていくしかない、という状況も生まれた。いわゆるオープンソース・ソフトウェアである。(これは、既存の組織では対応できなくなったサービスを NPO が引き受けようとしている現実と類似している)
これからの社会は、技術者によってもたらされた革命を受け入れ、そのプロセスを後追いする形で変わっていくことが予想される。
■ 2. オープンソースからオープンプロセスへ
「オープンソース」への関心は「京都研究会2000」でも大きかった。しかしそれを、自分自身の問題として受け止めることができた参加者は少なかったであろうと思われる。(技術者と非技術者の新たなるディジタル格差を危惧したほどである)
しかし、オープンソースを単に「価値の共有」と考えるのではなく、「価値を生み出していくプロセスの共有」と考えるならば、これは、社会のあらゆる場所で取り組んでいくべき問題ではなかろうか?
こういった観点から、
「オープンソース・プロジェクト=成果物のオープン化」
ではなく、
「オープンプロセス・プロジェクト=仕事のプロセスのオープン化」
に注目していきたい。
「オープンソース」は「オープンプロセス」の結果の一面に過ぎない、と見ることができるのだ。
ソフトウェア開発の「オープンプロセス・プロジェクト」において、どのような技術とマネジメントが用いられているのか、それが、ソフトウェア開発以外のどのような活動に応用可能なのか、考えていくこと。
それは、社会が正しく技術を理解し、活用していくためにも有効である。
■ 3. コミュニティ情報共有の技術に注目する
「オープンプロセス」の鍵になるのは、情報共有の技術である。
ネットワークコミュニティでの知的生産活動は、ネットワークというインフラがあれば自動的に活性化されるようなものではない。メンバーの自発性を促して引き出しやすくするためには、さまざまな仕組みが必要になる。
これを技術面からサポートするシステムとして、今回の研究会では、
・SCCJ の活動ですでにお馴染みの eGroups サービス
・ソフトウェア開発者の標準ツール CVS
・今後注目したい情報共有ツール Groove
などについて、操作の実演をまじえながら説明する。ただし、個々のツールの使い方を説明することは目的ではない。
・いま何ができるのか、将来何ができるようになるのか
・どのような考え方で作られているのか
さらには、
・どのような組織やプロセスに適しているのか
・どんなふうに仕事をするべきか(キーワードは無精・短気・傲慢!)
についても論じていきたい。
西本卓也 (助手) / 京都工芸繊維大学 電子情報工学科
http://www-vox.dj.kit.ac.jp/nishi/
バージョン管理システム(CVS)の導入と活用
http://books.softbank.co.jp/bm_detail.asp?sku=4797310669
鯉江英隆/西本卓也/馬場 肇 著
ISBN 4-7973-1066-9
本体価格 \2,800
はじめに、國領先生から最近話題の、Pear to Pear と集中処理につきましてプレゼンテーションをしていただきました。集中処理と分散処理ということでは、個々のエネルギーのあるときは、自律分散型がもてはやされますが、パワーダウンしてくると、ホスト集中型のほうが楽と、このあいだをいったりきたりしているのが現状ということです。
集中処理 分散処理
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昔 ホスト パソコン
今 データセンター、ASP Napster, Gnutella, Groove
また、Gnutella や、Groove(Pear to Pearファイル交換の仕組み、音楽データの交換に使われるケースが多い)というソフトウェアの出現で、特に音楽業界からの反発がマスコミをにぎわしていますが、國領先生からは、著作権の問題よりは、税金の徴収がどうなるかということのほうが大きな問題ではないかという興味深いお話がありました。
情報を配信、流通させることはインターネットにより比較的簡単にできるようになってきましたが、その情報そのものを作りだすことはコピーにくらべてはるかに大変でコストがかかることです。これについてどのようなインセンティブをつけて、経済的な価値をつけるか、新しいビジネスモデルを構築する必要があります。そうしないとサスティナブル(持続可能)になりえないからです。この件で、「佐々木、北山モデル」と「福永モデル」が提示されました。
「佐々木、北山モデル」 オープンソースのLINUXをベースにどのようにビジネスになっていったかを検証
「福永モデル」 情報の受信者からお金を徴収(会費制等)するか、情報の発信者からお金を徴収(広告等)するかというわかりやすい分類で説明
また、参加者の一人NTTの小笠原さんからは、最近やたらと口にされる「コミュニティー」という言葉についてちゃんとした説明をしていただきました。
(議事録がちゃんとしてなくてすんません)
いわく、
「コミュニティ」とは、
1)共通の目的、関心事があること。価値を共有できる言語があること。
2)帰属意識があること。
3)オンライン、オフライン問わず、コミュニケーションがあること。
とのことです。
このような問題提起をもとに参加者同士、活発な意見交換がかわされました。
いくつかのご意見をご紹介します。
1) 「コミュニティ」とは一言でいうと「価値の共有と信頼の構築」といえるのではないか。21世紀に向かいますます重要になってくるだろう。
2) 現在のシリコンバレーの状況は、20世紀初頭のデトロイトの状況に似ている。
当時、数百社をこえるありとあらゆる自動車会社が起業した。
未知の産業である自動車産業で、現在では結局3社に集約されてしまったが、だからといってサスティナブルでなかったわけではなく、巨大産業となった。
3) 「コミュニティ」の形成の過程について、「踊る大走査線」のサイトや(本店サイト、所轄サイト)、お互いの言語がわからなくても、意思(石)疎通ができる「ネット囲碁」を例にして楽しい説明がありました。
意見交換で筆者が興味を引いた話題としては、國領先生から発言されました、「ROMの研究」(ROMとはネットワーク上の電子掲示板などで自分は発言はしないけれどもそのことのなりゆきを見ている人のこと)です。ROMの人が、その話題を口コミでリアルな世界で活用し、どれくらい影響力があるのかという視点です。実証データがなかなか見つからないそうですが、どなたかご存知の方があれば教えてください。
意見交換が佳境に達し、のどが渇いた頃、SCCJ事務局長の浅野さんから突然、会場を居酒屋に移しましょうという提言があり、京都の夜はふけていくのでした。
この続きは、12月1日の研究会で。それでは京都でお会いしましょう。
参考URL : 國領研究室のホームページ
http://www.kbs.keio.ac.jp/kokuryolab/
以上
文責 稲垣 匠