サイトマップ サイトポリシー
NPO法人日本サスティナブル・コミュニティ・センター
メインメニュー
カレンダー
前月2025年 6月翌月
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
ニュース ニュース  
予定 予定  
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
掲載日時: 2000-3-15 14:58:00 (102040 アクセス)

「営業新時代を拓くナレッジ・マネジメント」と題し、経営コンサルタントの太田秀一氏によるCRM講座が、15日デジタルスクールNeoで開かれた。

太田氏によるとe-businessには、コスト削減のための「守りの情報化」と売上拡大のための「攻めの情報化」があり、今回の講座内容となったCRM(Customer Relationship Management)は後者に関係する。CRMの核となるのは、マーケティング、セールス、サービスの3部門がどれだけ「相互連携」でき、「個別対応」できているかである。両者のうち太田氏が重視しているのは「相互連携」(integration)だ。これがしっかりしていないと部門間の矛盾やすれ違いを招き、結果として顧客の信用を失い、利益が上がらないということになる。具体的な対応策として、3部門がそれぞれ日誌をHPで公開し、情報の共有化を図るということなどが挙げられた。

またCRMの主要論点として、CR(Customer Results)=「顧客成果」の解説があった。CS(Customer Satisfaction)=「顧客満足」については以前から述べられていたが、CRMはそれだけでなく「顧客成果」にまで視野を広げた、CRM=CS+CR というものを目指している。例えば、ある顧客がパーティードレスを買いそのドレスに満足しているといういことはCSの段階だが、その顧客が実際にそのドレスをパーティーに着て行き、ドレスのおかげで目立ち友人が増えたという「結果」が出ることがCRである。そのためには、ドレスと共にアクセサリーも販売するなどの工夫が必要である。これからの経営はこのCRまで考慮に入れたものにしていかなければならないという。

そしてCRMを実現するには顧客の「選定・獲得・維持・育成」が必要で、これには上記の「個別対応」が有効となり、その手段としてコンピュータを駆使すべきだということだ。コンピュータのソフト選びも重要となる。今まではデータ・分析など「定量」的な情報に頼ってきたが、実際に共有したい情報は「定性」的なものが大半で、それを汲み取ることのできるソフトが必要となる。言うなれば「言語密着型」のソフトであり、単語のみの検索だけでなく、同義語・連想検索、文章による文章検索ができるものが良いそうだ。

このCRMが出現した背景として、日本でもKM(Knowledge management)が盛り上がりを見せているということがある。KMによる大きな経済効果が「数字」で出ていると言われているためであろう。しかしKMは総論的なものであり、成果を生むのは「総論ではなく各論」ということで、その各論となるCRMが注目を集めだしている。CRMはこれからの経営には必然的なものになってくるということだ。

会場には会社帰りといった人が多かったが中には学生も参加しており、時々相づちをうちながら皆熱心に聴き入っていた。休憩時間には太田氏に質問する姿も見られ、CRMに対する関心の高さが窺われた。


掲載日時: 2000-2-12 14:53:00 (100027 アクセス)

 20世紀の最後10年間は「日本経済の失われた10年」と言われます。低迷を続ける日本経済。一体何が日本の景気回復を遅らせているのでしょうか。

 私は、日本は「次のパラダイム」に乗り損なってしまったと考えています。「通信」「金融」「教育」。この3つの要素についてアメリカと日本を比較してみるとよく分かります。

 1970年代、アメリカは経済政策の失敗を打開するために通信と金融に関する大革命を行いました。通信分野では大幅な規制緩和が進められ、通信技術が急速に発展しました。80年代には国防省にインターネットの前衛となるシステムが生まれ、早い時期から家庭用コンピュータにおいて高速大量通信が可能になりました。同じ時期に日本は何をしていたかと言うと、ようやく電電の民営化に取りかかり始めていました。しかし完全な民営化にはほど遠く、通信技術の発達・普及においてアメリカに大きな後れをとってしまいました。

 次に金融についてです。アメリカでは1970年代、銀行が証券業を兼任することを禁止したグラス・スティーガル法が廃止されました。一時は大混乱となりましたが、その中で新しい手法が次々と生まれ、根づいていきました。金融の世界に一番大きな影響を与えたのがMMF(Money Management Fund)の登場です。これにより、一部の機関投資家にしか許されていなかった投資が一般の人にも開放され、人々の投資に関する知識水準が大幅に向上しました。同じ時期日本はバブル絶頂期で、「何もしなくても儲かる」状況が続いたためビジネスに対する感覚が次第にボケていきました。

 最後は教育です。アメリカは1970年代の早い時期に教育改革に取り組み始めました。従来の自由放任教育の欠点に気付き、「ビジネス教育」を取り入れ始めたのです。日本ではこの時期「何でも一通り出来るゼネラリスト型人間」が必要とされたため、ビジネスを学ぶはずの商業大学・高校は次々と普通科・帝国大型に移行していきました。結果、ビジネス手法に関して独創的な人間が「構造的に」生まれない仕組みになってしまいました。

 「通信」「金融」「教育」。この3つの改革が相乗効果となって今のアメリカの好景気があります。日本がバブルで浮かれている間にアメリカは必死になって勉強していました。同国が次のパラダイムにいち早く進むことが出来た最大の要因はここにあります。

 今、世界は「資本主義」経済から「知識主義」経済に向かいつつあります。勝ち残るのは資本家ではなく、知識をもつ者。その知識とは「Business Knowledge」に他なりません。インターネットでモノが簡単に調達できるようになった今、ビジネスの成功は資本ではなくその「手法」にかかっています。顧客のニーズをうまく掴む手法を思いつきさえすれば、例え資本をもっていなくても大成功を収めることが不可能ではないのです。残念ながらこの「知識」において、日本はアメリカとは比較にならないほど低い水準にいます。

 「資本主義」から「知識主義」へ。この傾向を私は「原始資本主義経済への回帰」と呼んでいます。ベンチャーや自営業、これは江戸時代には当たり前に見られていたものだからです。日本人は集団主義だとよく言われますが、それは違います。江戸時代、日本では公家商人や町衆が「自主独立」をモットーとしていきいきと生活していました。私達は今一度、この江戸時代の個人主義を見直すべき時期にきているのではないでしょうか。

 個人主義を支え、「知識主義」経済を生き抜く独創的な人間を増やす。そのために今日本に必要なのは「ビジネス教育」です。ベンチャーや自営業に取り組もうとしている人達にビジネス教育を施す環境を整える必要があります。

 時間がかかっても何とか「ビジネス教育」を浸透させ、「個人主義」を取り戻す。それが失われた10年を取り戻し、次のパラダイムへシフトする力の源泉となるのではないでしょうか。


掲載日時: 2000-2-12 14:51:00 (108557 アクセス)

 この家は棟上げからもう92年を数えます。今日はこの家を通して見えてくる京町衆の「心意気」についてお話したいと思います。

 私達の今いるところは昔の父の部屋にあたります。ご覧のように電気を消しますと、明かりは雪見障子からもれる光だけでとても暗くなります。京都ではこのような暗く、通風条件が悪い場所は大人の部屋にすることが一般的でした。明るい2階の部屋は主に子供達に与えられていました。

 「京都の人は暗がりばかりを好む」とよく言われますが、それは違います。明るい光の届く南・東側は、日常の生活を取り仕切る場所に残しておく、というのが京都の町屋の大原則なのです。日々の生活を取り仕切る場所、それは即ち台所です。ご覧頂いた方もいらっしゃると思いますが、この家の台所は天井の高い「吹き抜け構造」になっています。上には小さな小窓がつき、明るい光がさんさんと降り注いでいます。この台所の構造は、普段の換気にはもちろんのこと、火事の時多いに役立ちます。火事の時にはあの台所自体が大きな「ダクト」となり、炎を垂直に上げて隣近所に燃え広がるのを防いでいるのです。

 「隣近所に迷惑をかけない」
京都の人達は都市生活者としてのこの重要な点に、かなり徹底して取り組んでいました。
京都の、中でもこの界隈の人達で取り組まれていたことの1つに「規格化」があります。

 この界隈は昔から商人の町と言われ、町全体に商人の心意気が詰まっていました。商人の目標はとにもかくにも「儲けを上げる」こと。そのために彼らはまず、無駄を省く方法を考えました。そして生まれたのがこの「規格化」なのです。我が家にある襖・障子は、実は全部が全部家を建てた時からあったものではありません。他の家から譲り受けたものや、古道具屋で調達し直したものも数多くあります。別の家屋用に作られた襖や障子がぴたっと我が家の規格にはまるのは、昔の人々の行った「規格化」のおかげに他なりません。

 「無駄を省く」心意気というのは、京都の人々の「消費財の買い方」に如実に表れています。日々出入りするお金(雑用=ぞうよう)に関していうと、京都の人はいわゆる「ケチ」と言えるでしょう。しかし彼らは火鉢などの「耐久消費財」は、決して安物買いをしません。「無理やりにでも貯めたお金でいい物を買う。いい物を買えば数代に渡って使え、結局安い買い物になる」。それが京都の人達に共通する買い物の極意なのです。これは何もこの辺りの商人だけの話ではなく、京都の人全体に共通したものと言えます。

 「隣近所に迷惑をかけない」「無駄を出来るだけ省く」。このような京商人の心意気が詰まったのがこの家、この地域です。開放感のある明るい台所、近所から譲り受けた金色の襖、年季の入った火鉢などは、この家がこの地域で生きてきた長い歴史を偲ばせてくれます。

 最近、町屋が「美しい」と言われています。私が思うにそれはきっと、「老いの美しさ」を指しているのではないでしょうか。この家のあらゆる部分には、新しい住宅やキッチンには無い、地域や時代のエッセンスがたくさん詰まっているのですから。


掲載日時: 1999-12-3 14:02:00 (94936 アクセス)

1999年12月3日京都研究会
1999年10月23日「エコシティ京都探検隊」
1999年10月11日「エコシティ京都探検隊」実行委員会
1999年9月28日「環境会計(その2)」
1999年9月22日「「エコシティ京都探検隊」実行委員会
1999年8月18日「環境会計(その1)」
1999年7月14日「PCアップサイクル」のめざすところ
1999年6月16日「琵琶湖博物館で体験的学習」
1999年5月26日「京都サロン」のめざすところ
1999年4月21日「私の琵琶湖学」
1999年3月24日「水と生活」
1999年2月24日「学生起業家がめざす新しい環境と社会貢献ビジネス」
1999年1月23日 ―2周年記念拡大京都フォーラム― 「Sustainable Building」
1998年12月14日「オゾン応用による空気の蘇生化技術」
1998年11月17日「ゼロエミッションを実現する微生物培養技術」
1998年10月15日「循環共生型社会形成について」
1998年9月25日「環境と農業」
1998年8月11日「環境とダイオキシン(その2)」
1998年7月14日「環境とダイオキシン(その1)」
1998年6月17日「微生物が創造するエコビジネス」
1998年5月28日「環境と水(その2)」
1998年4月15日「環境と水(その1)」
1998年3月26日「環境と人権」
1998年2月18日「COP3の裏話と今後の世界変革」
1998年1月21日「紙について」
1997年12月17日(水)「COP3の成果と今後の産業構造の変革」
1997年11月19日(水)「地球の温暖化」
1997年10月31日(金)「世界の自動車」
1997年9月25日(木)「世界のエネルギー」
1997年8月27日(水)「世界の森林」
1997年7月31日(木)「たばこについて」
1997年6月19日(木)「水俣の経験に学ぶ」
1997年5月28日(水)「タンザニア訪問4回目の帰朝レポート」
1997年4月16日(水)「泥水飲んで百歳以上!タンザニアで考えたライフスタイル」
1997年3月19日(水)「リオサミットから5年世界はどう動いているか」
1997年2月13日(木)今後の進め方について


« 1 ... 4 5 6 (7)
copyright (c) SCCJ 2004-2005 All rights reserved.