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レポート : 報告■2002年5月1日エコミュニティ研究会「e社会の市民メディアを楽しもう」
掲載日時: 2002-5-1 17:15:00 (86824 アクセス)

02年5月1日 エコミュニティ研究会 SCCJリポート

■ テーマ e社会の市民メディアを楽しもう
講師 津田 正夫(立命館大学 産業社会学部教授)

<はじめに>
 8人でヨーロッパの市民メディアを見てみたいと回った、そのさわりの部分をご報告する。4年前に同メンバーでアメリカへも行った。そこで市民が700チャンネルを持っていることに驚き、『パブリックアクセス』という本で紹介した。アメリカは言論の自由が進んでいるが、日本では無理な話だという意見があった。では、ヨーロッパではどうなっているのかということを確かめるため、今回4カ国を訪問した。今から申し上げることは、反芻しながらつじつまを合わせるとこうなるのかなという結果論である。ヨーロッパは、まさにデジタル化を生かした激動の真っ最中だったので、ややアバウトな面もある。

<ヨーロッパのメディア環境>
ヨーロッパは狭い地域に密集している。さらに2つの世界大戦をはさんで、電波の配分が大変、厳しい状態であった。さらに多民族・多宗教・多文化の人々が押し合いへし合いしながらの勢力の移動があった。戦後態勢として今、EUの通貨統合があり、アメリカやASEANに対抗して、ヨーロッパ文化経済圏を作りつつある。各地域の地域性、民族性、宗教性を残し、多様性を保証しながら、彼らが古すぎると思っているシステムをアメリカ圏やアジア圏に対抗できる共通のものにしようとしているのである。非常に矛盾した多様な要素が絡みながら、再編されつつある。

<公共権>
ヨーロッパの公共権とは、みんなが集まって自由に話せる酒場や広場といった空間的な意味が非常に大きい。ギリシャのポリスは共同性と対話性でこの公共権が保障されていたと言われる。宗教や民族、歴史が違っても、自由に意見を出し合い、合意を形成できる公共的な場所があり、それが民主主義を自然に形作っていったのである。しかし、メディアがだんだん商業化し、資本が集中し、大規模化していく中で、その公共権は失われていった。みんなが参加できなくなり、政治家たちの宣伝の場所に成り下がってしまったのである。

<公共の放送>
放送は公共の場である。オランダ公共放送ノスは、住民団体の連合体がメンバーを集めて申請を出すと、その団体に電波の時間帯と予算がもらえるシステムになっている。
南ヨーロッパの公共放送は今も基本的に公共性・国家的管理が強く、イギリスでは独立法人のBBCが公共放送を仕切っている。80年代半ばからケーブルテレビが普及しだし、衛星が上がり、電波を商売に使う人が増えてきた。ケーブルではチャンネル数が多く、商業放送の申請が増え、需要もあった。もっと現代の暮らしに即したものにしようという国家政策もあり、イデオロギーが違う団体が形成しているノスは自分たちの代表ではないと考える市民たちが、無許可、無認可の海賊状態で市民放送を始めたのである。

<市民放送>
ヨーロッパでは各地で黒海、地中海に船を浮かべて、その中から無許可放送するという長い歴史があった。そういう市民の勝手な放送を何とか秩序化、統率したい当局が、チャンネルのケーブル化、デジタル化を利用して社会システムの組換えを考えた。それと市民パワーが重なって、だんだん市民放送ができてきた。グローバル化が進んでいるEUの執行部は、各地の文化を守りながらグローバルスタンダードを受け入れ、取捨選択しながら歩んでいる。
地上波と衛星波を比べてみると、地上波は公共放送であり、ケーブルや衛星波は、最近になって市民放送が盛んになってきた。当初から公共的なものを保障するというシステムがあり、それが市民感覚に即したものであるかどうかは別にして、また新たな視点から始めている状態ではないか。

<ビデオ上映>「とっておき関西(ヨーロッパテレビ事情)」
<ドイツの事情>
 ドイツではナチの体験をあらゆる政策に生かしている。通信や放送について国家としての政策は持たず、各州の法律によって運用されている。連邦の放送は、第1第2放送、民放と85年に実施されたオープンチャンネルを併せて、現在77局ある。オープンチャンネルでは、市民は誰でもアクセスできるが、刑法に触れるものはだめである。ただ事前に検閲を受けることはない。
非営利ラジオは、もともと海賊放送であった市民放送が合法化されたもので、今では30位存在する。NPOでやっているものもあれば、メディア庁直営もある。キャンパスライフは、学校の中だけの放送である。ケルンでは、商業放送の15%を市民に割り当てなければならないという法律がある。

<フランスの事情 小山さんによる>
 日本との違いは、移民社会が力を持っていることである。フランス革命の「人権宣言」では、「意見および思想の自由伝達は人間の基本的権利である」と謳われている。歴史の長い海賊放送は見つかれば罰金や懲役となるが、彼らには誰でも自分の意見を伝達できる権利を確信している。国も70年代後半から、何らかの形で認め、オープンチャンネルの枠を作って、ある程度規制していこうという動きが出てきた。去年が合法化の始まりの年であった。市民の力強さと意欲が、国全体を動かしている。

<まとめ>
インターネット放送は今後ますます発展するだろうが、地上波はそんなに簡単になくならないし、なくしてはいけないとも思う。資源はもともと私たちのものである。支えているのが受信料であれ広告であれ、最終支払い者は私たちなのに、企業や政治家がお使いくださいというわけにはいかない。地上波もインターネットもいろいろなことをやればいいが、そこで働いている人たちは膨大な資源であるから、型を決めて協力してやっていった方がいいと思う。彼らが独占しているものを、説得力をもって共有し、私たちが持っている設計図も彼らと共有することをもっと円熟させていった方がいい。こんな形でいろいろやってみて、地域やケースごとに突破口を開いたところが教えたらいいのではないか。立命館放送局の学生たちのようにエネルギーを持っている人、NHKが持っている大きな資源、本当に情報を発信したいと思っている人が結びついていない。ここのバランスを取っていくことが必要なのではないか。

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