サイトマップ サイトポリシー
NPO法人日本サスティナブル・コミュニティ・センター
メインメニュー
カレンダー
前月2001年 6月翌月
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
2001年6月26日 「環境、経済、社会倫理を評価する 宝酒造の事例から」
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
報告 2001年6月26日 「環境、経済、社会倫理を評価する 宝酒造の事例から」
27
28
2001年7月13日 ネット上での協業、会社運営とは 「Y's STAFF」に学ぶ
29
30
ニュース ニュース  
予定 予定  
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
レポート : 報告 2001年4月5日 環境と調和した持続可能なコミュニティは創れるか
掲載日時: 2001-4-5 16:08:00 (97420 アクセス)

エコミュニティ研究会 2001年4月5日 SCCJ一般HP用

■環境と調和した持続可能なコミュニティは創れるか――研究会要旨

地球環境の破壊が刻一刻と進むなかで、アメリカから飛び出した「京都議定書投げ捨て発言」。国際社会は対応に苦慮し、人びとは悲観的になりがちだ。一方、国際的なレベルではなくミクロな単位で環境を考えようと、みずからの手で自然共生型コミュニティ形成をめざす動きもある。今回の研究会では、環境という切り口でコミュニティのあり方を考えてみた。質疑応答では「既存の自治会や税制との整合性は?」「共有財産の管理はどうするのか?」「非現実的な桃源郷ではないのか?」…など鋭い意見も飛び交い、刺激的な討論となった。
 
〈スピーチ1――内藤〉
 日本では1980年代半ばまで、循環型社会がそれなりに機能していた。たとえば都市から排出される堆肥や残飯は、近郊に運ばれ、畜産に使われた。そうした循環システムは、85年の為替レート変換で一気に崩壊する。手間ひまかけた循環システムよりも、安価な輸入配合飼料が席巻するようになった。このような経済効率優先の価値観は、いまの日本社会においても支配的だ。
このままの生産と消費のスタイルを続けたら、地球生態系は破局的な事態に陥る――という予測を前提にして、問題解決の方向を探りたい。
近年、「ハーマン・デイリーの3原則」「ナチュラル・ステップの4原則」「デビッド・コーテンのポスト・コーポレート・ワールドの原則」など、自然環境とエネルギーの関係や市場経済のあり方をめぐって、さまざまな論議が展開されているが、私は環境問題は科学技術だけでは解決できないと考えている。おそらく、石油に依存した文明のあり方そのものからの脱却が必要だろう。最近、盛んに提起されている「エコビレッジ」「エコシティ」などは、いずれも「農業社会」をイメージしており、文字どおり脱石油文明社会のあり方として注目に値する。また、環境税や労働時間短縮など、環境と経済にかかわるさまざまな数値化の研究も進めなければならない。数量モデルが示されれば、具体的な政策ツールの研究も進むだろう。いずれにせよ、人間が地球生態系の一員として生きようとするのなら、生態系の原理をよく研究し、自然の生態系に則って新しい社会や技術をつくるしかない。
また、「人間の幸せとは何か」といった価値観の再構築にも取り組む必要があるだろう。われわれ人間は利便性と効率優先の規範で動きがちだから、経済と自然環境と人間性がともに豊かな社会とはどんなものなのか、そのイメージを示す必要がある。これはコミュニティのあり方ともかかわる問題だ。豊かなコミュニティのあり方を示した「アワニーのコミュニティ原則」は、カリフォルニアのビレッジホームズなどにも採り入れられ、宝塚市で進行中の団地開発もこれにきわめて近い。今後の地域づくりの参考になるだろう。
 はっきりしているのは、時間効率を優先していては共生のための技術も価値観も生まれない、ということだ。私は、循環共生型社会の建設に関心のある人とともに活動する場として、NPO法人「循環共生社会システム研究所」を設立した。多くの人びとの参加を求めたい。
 
〈スピーチ2――仁連〉
■人間の存在そのものを危うくする環境破壊
私たちは昨年末、企業・行政・個人・市民団体・研究者などさまざまな人たちの参加を得て、エコビレッジ建設をめざすNPOを、滋賀県を中心に設立した。
 20世紀産業社会は、生産者と消費者を分離し、地球の物質循環の仕組み(生態系)に疎い人間を大量に生み出した。その結果、人類は膨大なエネルギーを消費するようになり、地球生態系の不可逆的な崩壊を招きつつある。
 さらに、物質循環の仕組みが見えにくい社会=金さえ払えば何でも簡単に手に入る社会は、もうひとつの危機をも生み出した。人間が自分自身の存在を認識できなくなるという事態だ。多発する「17歳」たちの事件は、他の人間を殺したり傷つけたりする行為でしか「自分の存在」を確かめられない人間が生まれていることを示している。人間は他者や周囲の環境との関係のなかでこそ自己の存在を認識できるが、あまりにも物質的に豊かな社会は、逆にその機会を人間から奪ってしまった。
人間が生きるとは、「他の人びとや自然のなかで生きている」ということであり、それを実感できる仕組みをつくることが大切だ――エコビレッジ建設をめざす私たちは、そう考えている。20世紀型産業社会のなかで切り離されてしまった生産者と消費者を、再び結びつけ、人間同士の関係や人と自然環境の関係が認識できる暮らしを再構築することがエコビレッジ建設の目的である。また、持続可能な社会に転換するためには、まずミクロな単位でサスティナブルな社会を実践する必要がある。それが成功すれば、マクロな政策への有力な提言になるだろう。
■コミュニティの核はコモンズ
では、どうやってその仕組み=エコビレッジをつくるか。かつての農村のように、一斉に溝掃除をするといった画一的な行動を求めるコミュニティは、エコビレッジの構成員には受け入れられない。なぜなら、彼らはさまざまな専門性や職業や生活スタイルを持ち、個性を大切にする価値観を持っているからだ。彼らが、共通の目標を持ち、協力して生活を営むためには、みんなが同じ時間に同じことをするのではなく、それぞれの個性や専門性を生かしながら活動に参加できる仕組みが必要だ。その仕組みのひとつがコモンズである。カリフォルニアのビレッジホームズでは、村の中心にみんなで利用できる広場がある。そういうコモンズを持っている。コモンズは画一的である必要はなく、それぞれのコミュニティの特徴・特質によって異なる。要は、コモンズを持つことと、コモンズの運営に構成員の個性や能力を生かせる仕組みが大切だ。
それを保障する方法のひとつにローカルマネーがある。顔が見える関係の人たちが、趣味や専門性を生かしてお互いに助け合う仕組みであり、それによってコミュニティのなかの価値ある存在としての自分を認識できる。実際に助け合う機能と、人間性回復の機能を併せ持った仕組みだ。逆にいえば、画一的な活動参加を求めるコミュニティには、ローカルマネーは不要である。異なる個性を持った人びとがともにコミュニティを形成するためには、この制度の利用も考えられるだろう。
■エコビレッジは自立・自律型社会
エコビレッジの重要課題は、構成員が相互に自立・自律し、自分たちの生活に責任を持てるかどうかだ。たとえば、人びとが従来の「消費者」の立場にとどまるのではなく、工業製品の製造・廃棄の過程について知り、積極的に発言できるようになれば、生産者(企業)との関係も大きく変化する。売れる製品づくりのみに奔走する企業から、コミュニティと一体となり、コミュニティが必要とするものを生産し、消費や廃棄にも責任を持つ企業へと変わる。より多くのモノやエネルギーを売ることではなく、サービスを通じて人びとに満足を与えることが企業の役割になる。
 このような自立・自律型の生活が可能な最小単位は、個人ではなく、コミュニティだ。なぜなら人間の生活はオールラウンドなものであり、生活は個人では完結しない。自立・自律型の暮らしを可能にする最もミクロな単位=コミュニティを生み出すことにこそ、環境問題を解決し、行き詰まった人間社会や経済を転換するカギがある。
 以上のような立場から、私たちはエコビレッジをつくりたいと考えている。一定の土地さえ提供されれば、志を同じくする人たちが全国から集まるだろう。プロモートに関するアイデアなど、幅広く意見を募りたい。
 
■質疑応答から
【女性】コモンズと既存の町内会・自治会との違いは? 税制との関係は?
【内藤】財産を共有した場合、税制との関係は、解釈が微妙だ。構成員同士が所有権を主張して、トラブルになるおそれもある。それを防ぐ仕組みが必要だ。
【仁連】コモンズを近代的な枠組みに合った仕組みにすべきだろう。最も望ましいのは法人組織をつくること。「○○村株式会社」でもいい。オーストラリアには協同組合形式で運営しているエコビレッジがある。村で研修事業などを行い、組合員を講師などに雇って、報酬を払っている。
【男性】エコビレッジは「仲良しクラブ」のようなイメージがする。仲良し同士で家を建て、村をつくるのは非現実的だし、多くの人が参加できる条件にはない。既存の自治会が取り組んでいる活動や枠組みと組み合わせるといった方向が必要ではないか。
【女性】いまの企業は利潤の追求を生産活動の動機にしている。サラリーマンがエコビレッジに参加する場合、企業の論理とコミュニティの論理をどう整合させていくのか。
【男性】かつて、日本建築は解体・組み立てが容易なユニットシステムで、コミュニティも循環共生型だった。これらの文化的資産の持つ価値を再発見・再認識し、新しい価値観のなかに組み込むことが重要ではないか。その作業を抜きにエコビレッジを提唱しても、桃源郷を夢見ているようにしか映らない。
【内藤】現況の日本のような社会が安定的に続くという前提に立てば、エコビレッジをつくる必要はない。しかし、日本社会は今後、激変が予想される。そのときの受け皿としてエコビレッジは存在しうると思うし、現に指向する動きもある。文化的資産の蓄積も活かす必要がある。その場合、かつての建築様式やコミュニティのエコロジカルな特性を再生するには何が必要なのか、それをよく整理することが重要だ。
【男性】コミュニティと仲良しクラブは違うし、コミュニティは動機がなければ存続しない。動機(そのコミュニティで何を創造しようとするのか)を共有することが重要な点だろうと思う。動機は変わることもあるから、コミュニティへの「参加」「離脱」は自由に認められてしかるべきだ。したがってコモンズも、動機によってコントロール(あるいはマネージメント)されるのではないか。
【仁連】仮に個人の事情で離脱しても、村そのものの価値は上がるような仕組みをつくらねば。近代的な枠組み、たとえば株式会社の形態はどうか。構成員は株価を買い、村を出るときに株価が上がっていれば、それを受け取れる。共同経営のようなドライな仕組みにしないと、続かないだろう。
【男性】エコビレッジの発展形態は? 一つの村をどんどん大きくするのか、あるいは小規模の村を数多くつくるのか。後者なら、効率という観点からも最低限の交易が避けられない。
【仁連】さまざまな村が無数にできることになるだろう。地域による特性の違いもあるし、村だけで完結できないから、相互にカバーしあうための交易は当然生まれる。その場合、ポイントはエコロジーだと思う。たとえば「重厚長大」なものはコミュニティ内での調達を基本に、かさの低いものや情報などはグローバルに交易するというように、ローカルやナショナルも含めて対応していくことになるだろう。いずれにしろ「人と人とのアライアンス」の成立が交易の前提条件だ。
【内藤】環境問題に関する行動規範は、世界規模ではなくコミュニティレベルで考えるべきだ。エコビレッジのような自立型コミュニティが無数に増えれば、最終的には日本全体が変わる。循環共生型社会でも最小限度の交易はあり得ると考えられるので、コミュニティは必ずしも自己完結する必要はない。この点は経済の専門家の意見も求めたい。
【男性】自然や人間同士の関係を重視し、精神的な充足を求める人たちが増えてきたし、ネット上でバーチャルなコミュニティをつくる動きもある。消費者のなかで価値観の転換が起き始めているのではないか。
【女性】商品選択の基準として社会的満足(例:環境負荷のより少ない商品)を重視する消費者が、少しずつだが増えつつあり、敏感な企業はそれに対応しようとしている。
【内藤】社会はそうやって変わっていくのだろう。私たちのNPOに参加する学生たちのように、あえて困難な道を選ぼうとする若者もあらわれ始めた。いまはそういう時代だ。

印刷用ページ このニュースを友達に送る
投稿された内容の著作権はコメントの投稿者に帰属します。
copyright (c) SCCJ 2004-2005 All rights reserved.